京都地方裁判所 昭和25年(ワ)215号 判決
原告 小田七三郎
被告 株式会社夕刊京都新聞社
一、主 文
被告は原告に対し金五千円を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分しその一を原告の負担としその余は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告は原告に対し金十万円を支払えとの判決を求めその請求の原因として、被告会社はその発行の昭和二十五年二月八日附新聞夕刊京都紙第二面に強盗三人組という見出しで次の記事を掲載報道した。
「下鴨署刑事係では六日夜上京区紫竹西桃ノ本町松村佐喜夫(二二)同じく下高繩町小田七三郎(二二)住所不定山端竹彦(二二)の三人を強盗容疑で逮捕した。同人たちはさる一昨年九月十八日夜上京区大徳寺町通信事務官池尾喜三郎さん方に侵入したところ母のかつさん(五七)に発見され騒がれたので声を出すと殺すぞと手ぬぐいで口をふさいだがなおも抵抗されたので一物も盗らずに逃走したもので、ほかに洛北方面で強窃盗を働き被害金額約六、七十万円にのぼるものと見られ余罪取調中である。」
右の記事によれば原告は強盗容疑により逮捕されたこととなつているが、原告は警察、検察庁を通じて強盗の容疑をかけられたことは一度もなく、右の記事は事実に反したものといわなければならない。原告は右の記事が発表されたため精神上耐え難い苦痛を受けた。本件記事の内容面積字体及び本件記事掲載の被告新聞紙が京都府一円に約十万部販布せられたことに照し、原告の職業上の信用失墜名誉毀損による精神的苦痛の金銭的見積額は最低金十万円に相当するものである。而して右の損害は被告会社の被用者たる取材記者と編輯局長が記事取材上及び記事編輯上の過失に基き被告会社の事業の執行について原告に加えたものであるから被告会社にその賠償義務があることは明らかであり、被告に対して金十万円の金員の支払いを求めるために本訴に及んだものであると述べた。
<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張事実中被告会社発行の昭和二十五年二月八日附新聞夕刊京都紙第二面に原告主張通りの記事を掲載したこと及び被告新聞が京都府一円に約七万枚販売せられていることは認めるが、その余の事実は否認する。原告は右の記事掲載時下鴨署に逮捕され、訴外松村佐喜夫、同山端竹彦、同斎賀和と共に強盗容疑を受けて取調を受けていたもので右の記事は取材当時現に存在した事実、即ち原告に対する強盗容疑の事実をそのまま報道したものであり、何等虚構の事実を掲載したものでなく、右の記事は違法性を有しないものである。尤も原告はその後訴外松村、同斎賀と共謀による窃盗、窃盗未遂被告事件として亦単独で銃砲等所持禁止令違反被告事件として訴外松村、同斎賀、同山端は別に強盗未遂被告事件として何れも起訴せられ、原告について強盗被告事件について起訴はなかつたのであるが、これは右記事掲載後の捜査の結果原告に対する強盗容疑が消滅したためであつてこれを以て右記事掲載時に原告に対する強盗容疑が存在しなかつたということはできない。従つて右の記事が取材当時における事実をそのまま報道掲載していることは明らかであるから、右の記事の虚構を理由とする原告の請求には応ずることはできないと述べた。
<立証省略>
三、理 由
被告が昭和二十五年二月八日付の夕刊京都紙第二面に「強盗三人組」なる見出しの下に「下鴨署刑事係では六日夜上京区紫竹西桃ノ本町松村佐喜夫(二二)同じく下高繩町小田七三郎(二二)住所不定山端竹彦(二二)の三人を強盗容疑で逮捕した。同人たちはさる一昨年九月十八日夜上京区大徳寺町通信事務官池尾喜三郎さん方に侵入したところ母のかつさん(五七)に発見され騒がれたので声を出すと殺すぞと手ぬぐいで口をふさいだがなおも抵抗されたので一物も盗らずに逃走したもので、ほかに洛北方面で強窃盗を働き被害金額約六、七十万円にのぼるものと見られ余罪取調中である」旨の記事を掲載報道したことは当事者間に争いがない。
被告は右報道内容は真実に合致したもので何等虚構の事実を掲げたものでないと主張するが被告の全立証によるも右記事が真実に合致するものであることを認めるに足りない。これを詳論すれば、まず第一に成立に争いのない甲第五号証の一、二(原告に対する逮捕状請求書及び逮捕状)によれば原告は昭和二十五年二月一日京都地方裁判所裁判官の発した窃盗容疑の逮捕状に基いて同日午後六時下鴨警察署に逮捕引致されたものであつて逮捕状請求書及び逮捕状記載の被疑事実は「原告が昭和二十三年九月八日午後十時頃市内上京区紫野上柳町小林良雄当四十三年へ家人就寝中を奇貨に松村佐喜夫と共謀の上裏口より侵入し、裏庭に置いてあつた下駄箱より黒エナメル草履一足外六点時価五千六百二十円を窃取した」ものであること、即ち右記事にあるが如き「強盗容疑」で「逮捕」されたものではないことが明らかである。第二に成立に争いのない甲第五号証の三(訴外松村佐喜夫に対する逮捕状請求書)同号証の四(同訴外人に対する逮捕状)乙第一号証(原告及び訴外松村に対する起訴状)乙第二号証の一(原告の下鴨署における第一回乃至第三回供述調書)同号証の二(訴外松村佐喜夫の同署における供述調書)乙第三号証(判決書)証人下井操の証言、原告本人訊問の結果によれば原告の捜査は刑事事件の検挙月間における刑事の聞込に発端して初まつたもので原告の下鴨署における右逮捕状記載の窃盗被疑事実の自白を疎明資料として訴外松村佐喜夫に対しても同年同月一日原告と同一被疑事実の逮捕状が発せられ、これに基き翌二日午前八時三十分訴外松村も下鴨署に逮捕引致せられ同月四日原告及び訴外松村は前記窃盗容疑で勾留せられたこと及び右訴外松村は同月二日同署において訴外山端との共謀による本件掲載記事の如き池尾喜三郎方強盗未遂被疑事実を自白し、なお右強盗の際訴外松村は短刀を所持していたこと及びその短刀は確かなことは憶えないが犯行当時原告から借りたものであると供述したところから訴外井下等下鴨署刑事係は右強盗に使用された短刀を原告が訴外松村に貸与したものではないかと疑い右強盗未遂被疑事件に原告も関与しているのではないかとの「見込」をつけ、即日原告に対し第二回取調を行つたが、これに対し原告は訴外松村から右犯行直後過日新聞に出ていた大徳寺町の強盗は訴外松村と訴外山端の二人がやつたものであると聞かされた旨供述したこと、同月九日の第三回取調に対し、原告は逮捕状記載の窃盗以外に訴外松村等との共謀による昭和二十三年七月下旬の市内上京区紫竹上梅木町吉村彌之助方における硝子四十五枚(時価約一万三千円)の窃盗及び同年八月下旬の市内上京区紫竹長目町加藤きく方における窃盗未遂の犯行並びに同年二月初から同年十月末迄の間における短刀所持の銃砲等所持禁止令違反の事実を供述したこと、原告は同年二月十三日窃盗、窃盗未遂、銃砲等所持禁止令違反として起訴せられ、同年六月三十日右起訴事実全部につき有罪の判決を受けたこと、本件記事が取材された昭和二十五年二月七日当時下鴨署においては捜査当局として当然抱くべき原告の右強盗未遂事件の余罪の一応の見込を抱いていたが容疑を形成するまでに至らず、単に原告に対して共謀の有無、短刀貸与の有無を事実上尋ねたに止まり刑事訴訟法に基く捜査手続としては一貫して原告を窃盗、同未遂、銃砲等所持禁止令違反の被疑者として取り調べ前記長尾方の強盗未遂被疑事件の容疑者としては取り扱つていなかつたことを認めることができる。第三に前掲各証拠によれば原告には洛北方面で強窃盗を働き被害金額約六、七十万円にのぼるものと見られる余罪はなかつたものといわなければならない。従つて本件記事は以上の三点について真実ではないということができる。
右第一点及び第二点に関し被告は昭和二十五年二月六日即ち原告等が逮捕せられた当時原告が刃渡り十九糎の短刀を所持しており強盗容疑で起訴された訴外松村等と共に一応強盗容疑者として取調を受けたことは事実であり、被告新聞は右当時あつた事実即ち強盗容疑で逮捕せられた事実を探知して真実のままを報道したものであるからその後事件の取調の推移によつて原告に対する強盗容疑が消滅したとしても右報道の真実性は失われないと主張する。およそ新聞は社会公共の報道機関としてその時々の社会の動きをとらえその時々の真実を報道するを使命とするものであるから捜査中の刑事事件の報道に当つてはその段階における一定の時点の事実を事実としてそのまま報道したものである限り、たとえその後の取調の推移によつて報道事実と異なる発展結果を見たとしても、その報道は真実なる報道として正当であることは当然であるが、同時に報道記事から常識的に感得理解される事実と存在生起した客観的事実との間には社会通念上同一性が認識されるものでなければならない。客観的事実がこの同一性を認識し得る限界をこえる程度に相違した形で報道せられるとき、それは真実ならざる報道として許されないものと解するのが妥当である。これを本件について見れば、前段認定の如く原告は当初紫野上柳町小林方における履物窃盗事件の被疑者として窃盗罪の逮捕令状に基いて昭和二十五年二月一日下鴨署に逮捕引致せられたものであつて被告主張の如く強盗容疑で逮捕せられたものではない。而してその後前記認定の如き推移を経て本件記事取材の昭和二十五年二月七日当時には下鴨署においては大徳寺町池尾方強盗未遂事件の共犯者ではないかとの「見込」を事実上立てていたに過ぎないのであるから原告の犯罪行為に関しては「原告は一日紫野上柳町小林方における窃盗容疑で下鴨署に逮捕されたが同署の見解によれば池尾方強盗未遂容疑の見込もあるので余罪取調中」なる趣旨程度の報道をするならばともかく下鴨署刑事係では六日夜原告外二名を「強盗容疑で逮捕した」云々と報道し、宛も原告が当初より強盗容疑者として逮捕状により逮捕せられたとの印象を与え、かつ又原告に対する池尾方における強盗未遂容疑は未だ全然具体化しておらず、下鴨署における単なる「見込」にすぎない当時の段階において逮捕された原告外二名の犯行として強盗未遂の事実を明記し、宛も原告に対する右容疑が確定的に存在しこの容疑事実に基いて逮捕されたものの如き行文は、逮捕日時等些小な誤謬は問わないとしても存在しない事実を存在するものとして報道したとする非難を免れ得ない。何となれば「窃盗容疑により逮捕」せられ余罪として強盗未遂容疑の見込があり取調中であるという客観的事実と、強盗未遂の犯罪事実を明記し、その「強盗容疑により逮捕」せられたとする記事から一般読者が知得する印象事実との間の相違は色彩、度合のそれではなく客観的意味内容に本質的な相違があるのであるのみならず新刑事訴訟法のもとにおいて非現行の「犯罪容疑」ありとして被疑者を「逮捕」するには令状を必要とすること、即ち適法な疎明資料を審査し基本として一定の犯罪容疑があることを確認した上発付される裁判官の逮捕令状が必要とされること(緊急逮捕の場合は令状の発付によつて、その適法性が事後的に承認される)従つて又新刑事訴訟法下の現今において「犯罪容疑による逮捕」といいうるためには、右の如き裁判官の発した逮捕令状が存在することを前提とするのであつて警察における単なる主観的嫌疑いわんやその「見込」を以てしては未だ逮捕される「犯罪容疑」ありとなすことはできないのである。警察における右犯罪の主観的嫌疑乃至見込は裁判官が審査の結果発する逮捕令状により始めてその客観性を取得し、右令状発付に基いて捜査官たる警察官は特定人に一定の「犯罪容疑」ありとしてその逮捕の権限を付与せられるにいたるものであることは今や一般国民の法律常識の範囲に属し、「特定人が一定の犯罪容疑で逮捕せられた」旨の新聞記事は一般読者に対し捜査官たる警察官の単なる「見込」とは本質的に異なるもの換言すれば裁判官(即ち捜査官以外の第三者)の冷静なる審査判断による相当の「容疑」が特定人に存するとの印象を深く刻みつけるものといわなければならない。従つて本件記事はその後段は勿論前段も被告新聞社の報道関係者の主観においては真実を報道する意欲をもつていたとしても、客観的に見るならば本質的な点において真実と異なる報道というべく本件記事から理解感得される事実と存在生起した客観的事実との間には社会通念上の同一性が認識され得ず本件報道は同一性を認識し得る限界をこえる程度に事実と相違した報道であるといわなければならない。
ところで証人井下操、同林隆次の各証言によれば本件記事は被告新聞社の被用者である訴外林隆次が警察探訪記者として昭和二十五年二月七日下鴨署司法主任室備附の留置人名簿の中に原告等の氏名を見出し、事件担当の係刑事及び井下刑事部長等に会つて断片的に事件の内容を探知し詳細は未だ判明しないが原告をも強盗容疑者との想定のもとに取り調べている旨を洩らされたので、原告に対する逮捕状その他の書類を調査することなく、係官からの探知事項を整理してこれを記事にまとめ右記事は被告新聞社の被用者である編輯局長の審査を経て、翌八日附の被告夕刊京都紙に掲載されたものであることが認められる。訴外林記者において、単に係官の意見にのみ頼らず真実把握の熱意を以て捜査の機密を害しない範囲で許される調書等の閲覧その他の方法によつて調査を行つたとすれば、原告の容疑内容が当初は小林方における履物窃盗事実だけであり、池尾方強盗未遂事実については未だ単なる下鴨署の「見込」であり、洛北方面の多額の強窃盗の容疑は存在しないという客観的事実を把握し、少くとも把握し得べかりしものであつたに拘らず、この措置に出ず、係官の意見説明を卒然信じてこれのみによつて取材したことはその取材過程に過失があるものというべく、又警察における単なる「犯罪の見込」による取調と特定の「犯罪容疑による逮捕」との意味内容の本質的相違は警察関係探訪記者として当然理解し少くとも理解しているものと期待しなければならないから、取材表現上にも過失があるものというべきであり、訴外林の取材記事が真実に合致しない点を看過し真実を報道した記事として編輯した被告新聞社の編輯局長にも記事編輯上の過失があるものといわねばならない。而して本件記事は右取材記者及び編輯局長の過失に基いて被告発行の新聞紙に掲載報道せられたものであつて、前記認定の如く真実と相違する本件記事掲載の結果原告がその名誉乃至信用を毀損せられて損害を蒙つたことは明らかであるから右被用者両名の選任監督につき被告において相当の注意義務を払つたとする主張立証のない本件においては被告は原告に対し民法第七百十五条に基き、右被用者両名がその過失に基き原告に対して加えた損害につき使用者として損害賠償の責に任すべきである。
よつて損害額の点につき考える。本件記事掲載の被告夕刊京都紙が京都府一円に約七万枚販布せられたことは当事者間に争いなく(原告は約十万枚と主張するが被告の認める七万枚をこえて販布された証拠はない)本件記事がその第二面上部より五段目乃至七段目の記事の一部として報道せられたことは成立に争いのない甲第一号証(昭和二十五年二月八日付夕刊京都紙)により明らかであり、原告は本件記事取材の六日前である昭和二十五年二月一日窃盗容疑の逮捕状により逮捕せられており本件記事取材の同月七日当時には本件記事内容の如き池尾方強盗未遂被疑事件についても訴外松村、山端等と共犯関係にあるものではないかとの「見込」から下鴨署においては事実上一時的にもせよ訴外松村等と共同被疑者の扱をしており、なお前に認定した如く原告は窃盗三件を敢行し、かつ又本件長尾方強盗未遂事件につき事実上の嫌疑をかけられても又やむを得ない事情にあつたことなど諸般の事情を考慮すれば原告の蒙つた精神的損害額は金五千円に相当するものと認め得る。これを左右するに足る証拠はない。
よつて原告の本訴請求中金五千円については理由あるものとしてこれを認容しその余は理由なきものとしてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第九十二条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 平峰隆 石崎甚八 栗山忍)